「こんにちは」はなぜ「こんにちわ」でないの?





 私がパソコンと出会ったのは、今から20年近く前になるでしょうか。MS-DOSの時代でした。手紙が自由に書けて、宛名書きも一人でできると言う事が魅力で、音声ワープロを使い始めました。一般にはワープロが出ていましたが、音声サポートのあるのは、パソコンだったので、それを選ばざるをえなかったのです。


 文字が書けるようになったある日、家人から「挨拶のこんにちはは、こんにちわとは書かないよ」と言われて、なかなか納得できずに、「なぜ?」としつこく聞きました。


 もともと点字しか知らなかったので、学生時代に助詞の「は」は点字では「わ」と書くけれど、活字では「は」と書き、「へ」は点字では「え」と書くけれど、活字では「へ」と書くと聞いてはいましたが、「こんにちは」については聞いていませんでした。結局、そう言う物だと覚えました。最近、語源を知って納得しました。


 ところで、この「こんにちは」はかなでも漢字でも通用しています。私はかなを使います。テレビで少し前に、絵手紙のボランティアをされている方が、おとしよりに絵とともに、「今日はお元気ですか?」と添え書きをしたら、おとしよりから、「あなたは明日は死ねと言うのですか?」と言われて、ショックを受けて、以後添え書きを止めたと言うコメントが流れました。かなで書いてあったら、こんな誤解はなかったのではないかと感じて、文字の難しさを実感しました。メール交換していると、かなの人も漢字の人もいます。そのおとしよりにとっては、かなで書くのが自然でも、ボランティアの方にとっては漢字で書くのが自然だったのかもしれません。絵手紙のデザインの関係で、その「今日は」の字が、「こんにちは」と見えにくかったのかもしれません。お互いコミュニケーションをはかるとより良い関係が保てるのにと感じて、とても残念でした。


 外国語を習う時等に、ネイティブスピーカーと呼ばれる、日常その言葉で生活している皆さんをお手本にします。もともと点字が基本文字の私は、日常活字を使っている、ネイティブユーザーが書いたメールや文章をお手本にしています。あまりに自然に使っているので、聞かれると感覚だし等と言う答えが返ってくる事もざらですが(笑い)。


 パソコンはたくさんの漢字を知っていて、どんどん変換してくれます。日常使わない物や、ちょっと前には使っていたけれど、今はかなで書くと言う事も多々あります。最近はかなを多用すると聞いているので、不安な時や、迷った時は、かなで書くようにしています。


 漢字の変換ミスは良くある事で、気が抜けません。以前作ってプリントした文章の「昭和」と書くべきところを、「小話」と変換してしまい、手書きで直してもらった事があります。視力の有無に関わらず、校正は重要で、必ずすると聞いています。


 そして、文章を書くのにもう一つの問題があります。最近は点字でも読点を使うようになりましたが、以前は読点はありませんでした。それで活字に読点をつける時に、多すぎたり少なすぎたりしてしまうのです。見ての感覚もあるので難しいです。


 以前お会いした方が、「私は有名な学生の論文の校正をした事があるけれど、やっぱり見えない人の書く文章は、漢字の使い方等が違うのよね!」と言われたのを聞いて、違和感を感じた事があります。その方は論文を書いたご本人にその事を伝えたのか、疑問が残りました。気づいた事は遠慮なく伝える方が親切だと感じるのは私だけでしょうか?


 このHPを作る時にも、大まかにはネイティブユーザーにチェックしていただいてはいますが、細かな部分で誤字等あるかもしれません。お気づきの点は遠慮なくお知らせくださると、大変助かります。おそらく、多くの見えない方も同じだと思います。





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